去年の今頃、お父さんの看取り介護をしてました
季節が巡ってくると、より一層思い出す
「忘れたくない」と思い出そうとしてるのか、自分でもわからないけど
わたしには大切な記憶です
「死」を思い出すことは、「生」を考えることだ
わたしにとって「生きる」って
昔からの、大きな課題みたいなもののように感じています
以前は、生きるって大変だ、難しい
あまりいいイメージが持てなかったけど
今は、生きるっていいな、たのしいな、おもしろいなって感じられています(よかったw)
でも、生きるって何なんだろう?
どう生きたらいいんだろう?って、やっぱり考える
もっと気楽に生きろよ、と自分で突っ込みたいけど
わたしはそんな人間なんですよね
「生きる」って、できる
でも、「どう生きるか」はまた別の話だ
今、わたしは幸せ
でも、もっと幸せに生きることもできるとも思う
天井なんてないし
そんなこじんまりとしてていいのか?とも思う
足るを知る
その言葉は、やり切ってから言えよ
なんてまた自分に突っ込む
どう生きたら、、、
死ぬときに「ああ、楽しかったなぁ」って思えるんだろう
思い残すことがないって、どういう感覚なんだろう
だからわたしは、
「今をどう生きるか」「これからをどう生きようか」って、考えています
お父さんの死に向かっていく姿を見て
人は、最後の最後まで生きたいと思うんだなって感じた
わたしには「生きられない辛さ」を感じた経験はないけど
「生きなきゃいけない辛さ」を感じた時期はあります
事故にあって術後に神経麻痺がおきて、一旦脚が動かなくなって
運良く脚は、かなり動くようになったけど、後遺症は残っています
そこから7年くらいは、日々ただただ痛くて、つらくて、しんどくて
自分のからだのことで精一杯、からだのケアだけで精一杯だったなぁ
どう生きたいか?と聞かれたら
痛みのないラクなからだで生きたい、と答えてたと思う
それくらいの感じだった
諦めなかったので、今はかなりいい具合です
元通りにはならないけど、からだをラクにする為に生きなくてもよくなった
ほんと、ありがたいことです

話は戻って、
子どもの頃から、「命」って不思議だな
「命って何?」って、思うんです
いまだにそう思っていて
だからこそ、もっとちゃんと考えたいし、ちゃんと感じたい
からだや感覚もつかって、味わいたい
動きながら、感じながら、見つめ続けていたい
「わたしはもっと、命のこと、生きるってことを考えていいんだ」
これを書きながら、そう思ったりしています
だって、わたしはそれが好きだし、そこに興味があるから
生きるってこと
命というもの
もっともっと見つめて、感じて、
自分が納得できるように、生きてみたい
お父さんが残していった置き土産が
こんなにもどデカいものだったなんてね
ほんと、よくわかんない
それが、とてつもなく良くて、最高だとも思う
生きるとは、死ぬとは
今生きている、とは。