からだは “聖域” として扱ったときに、本領を発揮する
たいそうな感じで書きました(笑)
はい、今日はそんなお話です
「聖域」って
・汚しちゃいけない
・近寄りがたい
みたいな堅いイメージもあるけど
ほんとは
“大切に扱いたくなる存在”
“守りたい中心”
のことだと思うんですよね
“からだ”ってまさにそれで
心も人生も、選択も、すべての土台がここにある
当たり前すぎて忘れがちですが
からだあってこそ生きてますからね
でも、からだ自身は「聖域なんだぞ」とは言ってこない
面白いのは、からだ自身は
“聖域として扱ってください”
なんて一言も言わないってこと
ただ淡々と
• 血が巡り
• 呼吸が続き
• 眠りで整え
• 食べたもので動き
• 感情も受け止め
それをずーっとやり続けてる
押しつけゼロの存在なんよね〜
じゃあ聖域って誰が決めるの?というと
扱う側の「わたし」 が決める、です
からだを雑に扱えば、雑に感じるし
聖域として扱えば、不思議と聖域になる
・静けさ
・落ち着き
・直感
・やさしさ
がにじみ出る
つまり、
“聖域と決めた瞬間から、からだは聖域として機能し始める”
これが本質だと思います
自分次第、とも言えますね
もう一度言ってみます
「からだあってこそ生きている」
このからだで、一生を過ごします
どんな ”からだ” で生きていきますか?
次回は、聖域というと小難しいので
自分を大事にするって?
という感じで書いてみようかな