11月に書きかけてたブログの下書きを放置していて
なんとなく気になっていました。
父の看取り介護しながら仕事は変わらずおこない
隙間時間にブログやSNSを書いていました。
溢れる思いや気づきを、その時の気持ちを忘れたくなくて
書いていたと思います。
なんとなく途中にしていたこのブログ
「ちゃんと出す」をやりたくなったので
振り返りつつ、その時の気持ちを感じて、手を加えてみることにしました。
わたしは生きることって何だろう?と
10代の頃から考えるような子どもでした。
学校に行くようになり
自由なわたしでは居てはいけないんだな
と思うことが何度かあったように思います。
いわゆる前提とか、思い込みとか、ルールとか、ブロックってやつですね。
生きるって大変だなぁ、なんて思ってるタイプの人間でした。
だからこそヨガ哲学にも興味を持ったし
潜在意識にも興味を持ったし
脳科学を学んだり、セッションやカウンセリングを受けたりもしてきました。
そして去年
また生きること・生きていくことを捉え直す機会をつくったりしてまして
大きく方向転換することができた
なんて思ってまして
最後の総仕上げ的に、父と最後の1ヶ月を過ごす
という流れのように感じています。
大事なタイミングに間に合った
という感覚です。
受け取れるわたしでいれたことに
まじグッジョブ!
人生なるようになってますね。
この時に感じていた気持ちは宝物で
生きる指針とさえ思っています。
父に感謝、ということで
わたしにとって「生きる」が明確になったのでした。
ちなみに父とは生前そんなに仲良くないと言うか
なんとも相性が、、、というか
似ていて腹がたつ
みたいな関係性でしたよ(笑)
それでも、何を思っていても
わたしにとって父は父
それは特別な人です。
よかったら読んでみてください。
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「気づき」が次々と湧き上がってくる日々
こんにちは、さとみです。
父と過ごす中で感じたこと
気づいたことを整理しながら、今回はそれを書きたいと思います。
人生で起きることはすべて「気づきの種」
そうだなって思ってましたが
本当にそうでしかなく、そこに光や喜び、恥ずかしさやいい意味での諦めがあり
どれもこれも、わたしの世界を広げてくれています。
お父さんとの時間がくれたもの
命の終わりがもう目前まできている父
私はそばで、父がして欲しいことをし、見守り
家族の気持ちをゆるめるべくおちゃらけたりしています。
そんな日々の中で、何気ない瞬間の大切さを強く実感するようになりました。
今までだったら、腹立たしい言葉も(笑)、何気ないやりとりも
それらすべてが今の私にはとても特別に感じられています。
でも、考えてみるとると
本当は「特別な瞬間」ではなく、日常の一部だってこと。
父の時間はもう少ないから特別なんじゃなくて
今この瞬間、すべてが特別。
今更ながら痛感しています。
特別を特別にしてなかったのは、わたし。
ただそれだけだった。
以前の私なら見逃してきたものを
ちゃんとみる。
「普通の瞬間」が
尊いものとして感じられるようになりました。
感情を封じて生きていた私
私はわりと感情をコントロールすることに長けていると思っていました。
子どもの頃から、どんなことをキッカケにしたのかはわかりませんが
感情をコントロールしてたんじゃなくて
あんまり感じないようにするスキルが身についちゃってたんですよね。
感情に振り回されていたら生きにくいですし
コントロールすることは一つのスキルではあると思いますが
それが行き過ぎると、日常の中で感じられる喜びも薄れてしまいます。
わたしの場合
自分の感情よりも、大事にするべきものがある
と思い込んでいた。
もちろん無意識ですけど。
感じさせないことは、自分を大事にしてないから
そりゃ生きるってなんだろうとか言うよね(苦笑)
最近は、父との時間を通じて
ただ、丁寧にその瞬間を味わうことを大事にしています。
父と何をしたかではなく
今、わたしが何を感じているか。
それだけでよかったし、それが最高。
めちゃくちゃシンプルでした。
「今」という瞬間をどう生きるか
「人生は一瞬一瞬の積み重ねでできている」
ということ。
自分が今、何を感じているか。
その積み重ね。
例えば、大切な人との残された時間が限られていると感じたとき
その「当たり前」の時間がどれほど特別で尊いものかに気づきます。
とはいえ、人間は流されやすい生き物。
だからこそ 「今」 を生きることが大事。
父との残された時間を特別に思うように
今、目の前のすべての瞬間を大切に味わっていきたいと強く思っています。
これからの生き方
長く感情を抑える生き方をしてきましたが
「感情を受け入れること」が私にとって大切だ ということ。
もうこれだけでもいいかなって思っています。
それが人生をうれしく楽しくし
日々を愛おしいものにしてくれます。
44歳にしてようやく気づいたこの感覚。
もっと早く知りたかった気もしますが
生きてる間にきづけてよかった。
ほんと、マジで。
何をしていても、わたし幸せに生きていけるんだわ
という絶対的な安心感。
それに気づけたので
なんだって楽しいし、なんだって大丈夫。
根拠はないけど多分ずっとたのしく生きていける。
そう思えていれば
わたしは今も、これからもしあわせですし
これからが楽しみです。
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父は12月にわたしにおっきな愛をみせて旅立ちました。
最後まで読んでくださってありがとうございました